釜石警察署の歴史 

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釜石の復興と釜石警察署の歴史
釜石警察署の軌跡


平成23年3月東日本大震災で釜石警察署は被災しました。現在、昭和園グラウンド跡地に新庁舎の建設が進んでおります。釜石警察署は、どの時代においても釜石の中心部に位置しております。壊滅的な被害を受けた釜石の歴史と同様に、釜石警察署も被災、移転を繰り返しているようです。明治9年(8年?)から釜石警察署出張所が設置されて約140年、その軌跡を古地図をみながらおってみました。 

1901年(明治34年)~1916年(大正5年)の地図【浜町一丁目付近】

1901年(明治34年)~1916年(大正5年)の地図【浜町一丁目付近】

1949年(昭和24年)~1953年(昭和28年)の地図 【大渡町イオン入り口付近】

1949年(昭和24年)~1953年(昭和28年)の地図 【大渡町イオン入り口付近】

1969年(昭和44年)~1982年(昭和57年)の地図

1969年(昭和44年)~1982年(昭和57年)の地図

1990年(平成2年)~2008年(平成20年)の地図 【嬉石町矢の浦橋から海側】

1990年(平成2年)~2008年(平成20年)の地図 【嬉石町矢の浦橋から海側】

釜石警察署が、浜町⇒大渡町⇒嬉石町と移転していることが分かります。『×』が釜石警察所。


◇沿革をまとめてみました。

・1878年(明治9年)釜石村4地割りに警察出張所を設置。(現在の只越町)
・1885年(明治16年)釜石大火で焼失。釜石村只越町に移転。(現在の浜町1丁目)
・1917年(大正6年)町の膨張により大渡派出所設置。
・1937年(昭和7年)本署を大渡町(現在のイオン入り口前)に新築移転。
・1938年(昭和8年)昭和三陸大津波により焼失
・1947年(昭和22年)艦砲射撃により全焼。一時大只越町に移転したが便利が悪く、焼跡の本署に再度改修移転。
・1948年(昭和23年)警察法の改正により国家地方警察署と市警察所の二つになる。
・1949年(昭和24年)石応寺前に市警察署新築移転。(現在の青葉ビル)
*『釜石市誌 通史』『ふるさと思い出の写真集』より抜粋

・1954年(昭和29年)警察法の廃止により石応寺前の市警察署は、釜石市民病院に使用された。
*昭和62年『東海新聞』より抜粋。

・1991年(平成3年)嬉石町に本署移転。
・2011年(平成23年)東日本大震災により損壊、釜石第二中学校に移転。新庁舎を昭和園グラウンド跡地に建設中。


釜石警察署は少なくとも4度の被災と7回の移転を繰り返した歴史のようです。
別の古地図で場所を確認してみます。
尾崎神社が市営ビルの場所にまだあるので、昭和8年の津波より以前の釜石地図。東日本大震災時、岩手銀行のあった周辺に警察署。
昭和初期の釜石警察署

 
・現在のイオン入り口前に大渡派出所があるのかと思っていたのですが、薬師公園入り口付近に位置しています。
昭和7年に大渡派出所の場所に新築移転とあるので、ここに本署が建てられたのかもしれません。
 昭和7年にイオン入り口前に移転したようです。翌年の昭和8年の津波で被災します。
釜石派出所の位置
 
昭和7年
昭和7年7月17日釜石警察署落成記念写真

昭和7年7月17日釜石警察署落成記念写真

昭和8年 昭和三陸大津波直後
岩手県昭和震災誌の『罹災地に到着した県の支援物資』の写真。奥に映っているびは警察署?焼失は軽度だったのかな?

岩手県昭和震災誌の『罹災地に到着した県の支援物資』の写真。奥に映っているびは警察署?焼失は軽度だったのかな?

昭和22年艦砲射撃被弾痕跡圏 (○が第一次被弾、●が第二次被弾)。
釜石警察署は艦砲射撃により全焼。
艦砲射撃被弾

 
昭和24年の古地図。当時の警察法により石応寺横に自治警察署(市警察署)、イオン入り口に釜石警察署(国家地方警察署)が見つけられます。
昭和24年の地図

 イオン入り口周辺

 
平成3年嬉石町に本署移転。矢の浦橋の海側奥に位置していました。
 
 
そして第二中学校跡地に移り、
現在の釜石警察署は 元昭和園グラウンド跡地に
 
 
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