明治8年釜石TheJapanWeeklyMail 

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釜石の歴史、明治8年の釜石
「The Japan Weekly Mail」を読んでみました。

現在の釜石市の町づくりには釜石市外の人間、いわゆる「ヨソモノ」のご尽力がかかせないものとなっています。「ヨソモノ」目線だから出来ることがあるのかと思います。
明治8年(1875年)8月28日に横浜の「Japan Mail」社にて発行された「The Japan Weekly Mail 」(ジャパンウィークリーメール)紙に、釜石鉱山に雇われていた外国人技師の寄稿した釜石の様子が載せられました。(明治7年官営釜石製鉄所設置。明治9年大橋鉱山~釜石港間の鉄道起工 そんな時代の記事です。)

明治8年、その「ヨソモノ」の外国人が釜石をどのように見ていたのでしょうか。
オープンシティ釜石「釜石フォトライブラリー」から、釜石市の写真をお借りして、明治8年の「The Japan Weekly Mail 」の記事と現在の風景とを対比しながらてみていきます。

*板沢武雄博士の訳した「The Japan Weekly Mail 」にルビ、段落をつけてみました。
*「釜石フォトライブラリー」は、自由に使える釜石の素材写真です。
http://opencitykamaishi.jp/photolibrary/


「The Japan Weekly Mail」
(ジャパンウィークリーメール)
●釜石の港

"釜石とは日本本州の北、東海岸山田と仙台との中間に位置する寒村(かんむら:さびれた村)のことである。明媚な岩礁の相迫りて湾をなすところ、港内の水は磨いた鏡のように静かにきらめき、水底には鬱蒼と繁った海草が透映し、その水の深きこと、まことに好個(こうこ:ちょうどよい)の港湾である。
しかし惜しいかな、美味しい桃も時に虫を含むことあり、馥郁(ふくいく:よい香りがただよう様)たる薔薇も時に蜂虫の潜むことがある。この波静かな良港も、港の口に二つの暗礁の横はるありて、船舶が安全にそこを通過することの出来ない憾みがある。"
写真は釜石港

写真は釜石港

●釜石の地名

"それはそうと、この釜石といふ地名はどうして起ったのであらうか。この廬廚(台所?)に関係ある奇異なる地名は恐らくは、この地より12マイルを距る大橋附近の由彙(ゆい)より産する鉄鉱に関係ある微妙な推測に因るのではなかろうか。もっと妥当らしい解釈をするならば、恐らく周囲の山の輪郭から想像さたた命名であるかも知れない。海のほうからやって来た旅行者がこの土地を形容するのに、それ以外の言葉を発見する目を有しなかったとすれば、確かに美に対して盲目であったに違いないが、米を炊く釜に見立てたことは親しい比喩といふべきであらう。"

●釜石の街並み

"全くこんなよい土地を見たことがない。湾を入ると前面に半円状の砂浜があり、(*当時の東部地区周辺は須賀海岸という砂浜がありました。)その右手、山の懐に村落が抱かれて位置し、その背後の縁したたる山によって和らげられている。(*おそらく東前、大只越周辺)左手は丘を蔽うて繁る樹木が海岸に自然の墻(ぞう:壁)を形成している。(*おそらく松原方面、松の木が多く繁っていたとか)

谷の両側と背後には夢幻的な形をなした丘や山が重畳(ちょうじょう:幾重にもかさなっている)し、その門をおし分けてここかしこに通じている道は、どこで家のある余地を見出すかと疑われる程である。その峰々がだんだん高まって海抜約三千フィートの外界との間に一つの障壁を築くのである。自然は釜石において最も素朴な、そして常に最もうるはしい気分で現れている。"
写真は釜石市街地

写真は釜石市街地

●釜石の自然

"そして此等の山々は麓から頂まで緑で覆われているのである。北緯度圏内に産するあらゆる種類の樹木
《巨艦のマストに適する矢の如く眞直な丈高き杉の木、割って燈用に供する節の多い松の木、それから廣がったアカシヤ、槲(かしわ)の木に至るまで》
岩の上にも山の傾斜にも根を張っているのが見られる、これらの樹陰には山鳩や雉子(きぎす:キジの古名)の聲(こえ)が四季絶えることがない。

冬至りて山の頂が白雪を冠する頃になれば、鹿や猪が豊富に発見される。夢見るごときロマンチックな谷々には、ささやき流れる渓水が美しい音楽を奏している。それらの水は所々平らなところに深き淵をたたへ、柳の樹陰には蜻蛉が上下したり輪をなして飛び舞うている。"
写真は渓流

写真は渓流

●工部鉄道

"塵埃(じんあい:ほこり)の多い都に住み心身の休息を求める人達に、釜石程よい土地を見出すことは出来ないであらう。しかし読者諸君、もし休息の地をここに見出さんと欲するの士は急ぎ給へ、此港に近い谷は既に人間で一杯になりつつある。樵夫(しょうふ:きこり)の斧は建築用材の切出しに忙しく、鉄道用の土堤は今はまだ人間の手の大きさにも及ばないが、やがて鉱石を運ぶ貨車が轟き、鉱石の壁を平地に築き上げるだろう。"
写真はSL銀河

写真はSL銀河

●釜石の神社

"古代の神社が数世紀の暗黒につつまれて巨松の間に見える。その高く聳(そび)える老悄こそは釜石の村落の一千年の昔にたてられたことを象徴している。この宮は八雲神社と称し、ゲンジン(観音寺元祖慶度院源信)といふ僧侶により創立され、その子孫がこの神に奉仕する義務をもっている。素戔嗚尊(すさのおのみこと)のために信心深い僧侶が社を建てた。神がその深信を嘉し給うて彼に慶福を示された。それ故に彼の一族は十世紀の間繁栄し、五世紀前釜石の村が宮のある山の周囲に建設された。

しかし年々山川の早瀬が石や土を海に運んで、堆積作用で海岸に二マイルばかりの土地を形成した。漁業を生業とする村人は、必要上六世紀以前から新月状をなしている北側の鼻に定着地を発見した。(おそらく東前周辺)冬季北風を避けるここの小さい土地が足場を與(あた)ふるにつれて、漸々(ぜんぜん:だんだんに)山の傾斜地から海岸へと発展して行った。

現在人口3,995人、戸数792戸、神社15、寺院2、校長1人、生徒135名、ゲンジンの一族が最も多い。ここに記述する価値あることは、この古社に奉仕する敬虔なゲンジンの子孫が二年前の政府の命令によりて、その独占的権利を放棄して帰農したことである。"
写真は尾崎神社里宮の池

写真は尾崎神社里宮の池

●釜石の人家

"釜石以上に絵画的に位置する村を考へることは困難である。周囲に高く聳(そび)える山の麓に位置する家並み、緑の並木に境される道、村の中央、原始林からなる一つの山の裾の上にに、村の長の家があって中空に位置している。日本の山は彼等の住宅によく選定するところであるが、神秘的なことが物語られている。
そこに住む眼の大きいメランコリーな子供達が、眞夜中に怪奇な人の聲を聞いたとか、清月の夜に見たというこの世の者でない怪物の話などは珍しくも思はない程多いのである。

町の人家の造りは堅牢でよい作りである。どっしりと時代を経て煤(すす)けている建物が新しい近代的な建物と、粗野な対象のうちにある。もっとも近代的な建物が少ないのである。屋根は滑らかな川石でおお蔽(おお)はれている。あだかもその石が川原にあった時と同じやうに密に。それは風を防ぐためであらうか。いやそれのみではない。ここの人たちは鉄の産地にすみながら釘を用ひないでする簡単な葺方であるのである。ああ地下には鉄鉱が沢山あるのに知らずに。"
写真は橋野の馬舎

写真は橋野の馬舎

●魚の町

"かくの如くこの村は絵のやうにロマンチックに位置しているのであるが、魚の為に穢(けが)されている。木の枝も大通りも裏通りも家の中も魚で一ぱいである。空にも魚。ほんとうに至るところ魚である。漁業が住民の唯一の生業である。米は山を越して遠野から供給されている。彼等の主なる食物はナンブサメである。沖で切って頭と尻尾はもってこないのである。"

*ナンブサメとは
メザメ:1メートルくらいのサメで、煮ても焼いても刺身でもよい。このメザメで作ったカステーラは珍味で有名だったが、大量に食べると眠くなった。後年はカマボコ・チクワの材料にもなった。
クロサメ:10~2センチくらいのサメ。
カツサメ:学名アオサメ 3メートルくらいのサメでカツオノような色をしている。
これらを総称して「ナンブサメ」となったのではないか。
「海のむかし話」より
と、ナンブサメカステーラは商品化出来ないものかと。

写真は新浜町の水揚げ

写真は新浜町の水揚げ

●釜石人

"釜石の住民は多くの間、他から隔離して存在した面白い人達である。それがために親密に結合して能く彼等の風俗習慣を保っている。丈が高くて格好がよい。皮膚は白くて男女共に二十歳くらいまでは容貌もよいが、それから変わる。

彼等は互いに喧嘩する事を大さう好む。市日の日は街上でいつも人たかりして争っている。釜石の習慣として立派な服装をした人と往来で出会うと、馬をひいた人は馬を道側によけてその人の通るまで待っている。返事はハイ又はハイハイといふ。

釜石の緯度は北緯39度16分30秒、経度は東経141度52分50秒、偏差4度10分である。釜石は今や磁鉄鉱が発見され、それがため政府によって非常に重要な土地とせられた。"
写真は曳き舟船団

写真は曳き舟船団


まとめ

素直に「ヨソモノ」の目線は的を射ている と感じました。
変わったもの、変わらないもの、これから変わるもの、変えることができないもの、色々あるかと思いますが、いつまでも忘れてはいけない物は心に刻んでいけたらと思います。

*20歳以降の釜石人が、どのように容貌が変わっているのかは、是非釜石にお越しになって確認してみてください。
ホテルマルエは釜石駅から約徒歩5分となっております。
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